2012/09/15

函館空港にキリル総主教乗せたチャター機が飛来


 幕末、日本におけるロシア正教の最初の布教の地であり、現在でもロシア人墓地、帝政ロシア時代建築の旧ロシア領事館、ビザンチン様式が美しい函館ハリストス正教会があり、ユジノサハリンスク市、ウラジオストク市と姉妹都市提携をし、ウラジオストク市に本校があるロシア国立極東大学の函館校があるなどロシアと函館の関係は深い。

その函館に、ロシア正教会の最高指導者キリル総主教を乗せたチャーター機が9月14日午後2時10分頃、函館空港に降り立った。



 駐機場へ向かうと、カタール航空のボンバルディア グローバルエクスプレス5000が




ロシア連邦シベリア連邦管区のクラシノヤルスクからチャター機で函館を訪れたキリル総主教ら10名は函館空港へ到着すると休む暇なく、黒塗りの車で移動した。

 
 

ヤコブレフ Yak-42 RA-42330 Hakodate Airport


ロシア正教会の最高指導者、キリル総主教の乗ったチャーター機が函館空港に到着した9月14日、国際線ターミナル前のスポットには、3発エンジンの短距離旅客機の姿がすでにありました。

旧ソ連のヤコブレフ設計局が開発、1975年に初飛行をしたヤコブレフ42です。
キリル総主教の函館訪問の準備のため、一足先にロシアから函館にやってきたようです。機体番号はRA-42330

この飛行機のことをネット検索していると、9月7日にロンドン郊外のルートン空港で撮影されたRA-42330の写真が投稿されていました。

2012/09/08

ピカチュウジャンボが函館へ


 

 ジャンボの愛称で知られる、ボーイング747
以前は函館~羽田間の繁忙期にはANA、JALの2社が運航していました。

函館空港にジャンボ機が就航したのは、滑走路が2500mに延長になってからでしょうか。

 私は小学生の頃からの飛行機好き(マニアの域まで達していませんが)で、小学6年の頃、全日空のジャンボ機はスーパージャンボという愛称が付けられていました。

 全日空ではボーイング727とともに、好きな旅客機がこのジャンボ機でした。他を圧倒する迫力あるドデかい飛行機。あの大きな機体が函館の上空に飛来するたびにワクワクしたものです。




 そんなジャンボ機、ボーイング747ですが、JALのジャンボ機が日本の空から消え、
函館空港へ乗り入れする機首も小型機が目立つようになり、
函館・羽田間に就航するのは、大型機でもボーイング777-200か、777-300になっていました。

そんなにジャンボ機が函館に久しぶりに飛来。

9月8日、空の日を記念して行われた函館エアポートフェスタにあわせてやってきました。

 
 
その雄姿を一瞬でも見たい一心で、一路、高松展望広場へ。
 
 小学生の頃、見たことのない飛行機が来るとよく自転車を走らせ函館空港へ行っていたように。
 
 見たことのない飛行機というのは、当時函館に就航していないJALグループの国際チャーター便、日本アジア航空のDC10や、
ダイバードといって、成田空港から北米に向かう途中の飛行機が
アクシデントで函館空港に着陸したり、千歳が悪天候で函館に代替着陸したときです。
 

 空の貴婦人と呼ばれたマクダネル・ダグラスDC8(JAL)が来た
ときの感動は忘れられません。
 
(DC8は、「逆噴射」という言葉を有名にした、羽田沖で墜落した機種です)
 
キーン、ヒュルヒュルという金属音を響かせながら函館にやってきたあの雄姿が忘れられません。


ボーイング747-400D
国際線で活躍した機体は、2004年ピカチュウがド派手にペイントされ「ピカチュウジャンボ」として国内の幹線に就航して、子どもたちに空の旅と、飛行機への関心を高めてくれています。




 双発機全盛の国内航空業界にあって、4発エンジンのジャンボ機が近い将来、日本の空から姿を消すことになると思います。
次に函館に来るのはいつの日か?

 また来年のエアポートフェスタにおいでと、飛び立つジャンボに別れを告げました。


2012/09/07

函館「脱原発金曜日行動」に参加


 バイバイ大間原発はこだてウォークには毎回参加しているのですが、金曜行動に参加したのは今日がはじめて

今日、議会の一般質問が終わり、短時間ですが市役所前で行っている脱原発の金曜行動に参加しました。


 
 
 実は首相官邸前のかわりに市役所を見立てて、というところに違和感がありました。
 
 首相官邸の主は原発再稼働を進める野田首相、 函館市役所の主は?トップは大間原発無期限凍結を掲げる工藤寿樹市長、そして私も議員ですので市役所が拠点です。
 

いろいろ考えながら参加しましたが、行燈を片手に「NO、NO、NO、NO、野田(ノーだ)NO」と参加者と一緒に唱和していると
場所はともあれ、声を上げていくことが大切。幕末維新のときのご一新、各地で「ええじゃないか」が起きたように、このような集会やデモがあちらこちらで起こる状況が生まれなければこの国は変わらないのではないかと・・・

考えながら行動する、前進する
金曜日も必要だが、首相官邸前のように

交通料金で悲鳴
国保料金で悲鳴
介護保険料で悲鳴
年金減額で悲鳴
そのような市民が結集できる集会やデモもこの函館には必要だ


                              2012.9.7




2012/09/02

函館・西部地区の景観(下)


末広町の電車通りで周辺の景観に配慮した建物の建設が進む。

これは、北消防署末広出張所庁舎の新築工事で、青柳町と弥生町の出張所を統廃合して末広出張所として西部地区全域を担当をする消防署となる。


 電車通りから見るとすぐ左には旧日本銀行函館支店、右の並びには金森森屋デパートを外観復元したウイニングホテル、旧第一銀行函館支店、向いには旧金森洋物店など歴史的建造物が多く重厚な景観をつくっている。

 この界隈では、函館エスイーシー社が2つの古い銀行建築の建物を活用し新築した2つの建物も周囲の景観にあわせた外観、低層階のみ、周囲の景観の連続性を崩さない外観にしたビルを新築するなど地域に貢献している同社を評価したい。





函館・西部地区の景観(中)


 大町の海岸通りには、いまの函館を象徴するような建物に出会う。所有者が函館以外にいる、あるいは所有者が不明の建物が超高齢社会を向かえている函館市内には増殖中で、長期間、住む者がいなくなった家屋は朽ち果てていくしかない。



臨海研究所

 
木造2階建ての長方形の建物はまさに朽ち果てる過程の中にある。
 並びには、旧函館水上警察署(後の函館西警察署)当時の外観を復元した臨海研究所が建つ。


 私の住む深堀町でも最近、急激に空き家、売り家が増えてきた。しかし、西部地区を中心に函館市の旧市街地では、防犯上、景観上の深刻な状況になっている。函館市でも、解体費用を補助する仕組みが出来たが、写真に見る大町の建物は手付かずのまま。

船見町の市民からも約5年前に住民が孤独死して以降、空き家となっている家屋いスズメバチが巣を作っているので何とかできないかという相談があった。2階建ての住宅からは以前、鉄の棒が住民たちの歩く小路に落下し、消防に依頼し屋根の上を点検し鉄の棒をすべて下ろしたそうである。2階の屋根は大方無くなってしまい部屋が露出しているそうだ。



大町の老朽家屋の2階を見ると、朽ち果てる建物とは似合わない、ゴルフバックが横たわっている。

函館・西部地区の景観(上)

 
 函館市大町の海岸通りには歴史的建造物が点在する。
上の写真は1909(明治42)年、海産商・森宇兵衛商店として建てられ現在、市の景観形成指定建築物となっている「民宿室屋」の建物。
 
 大町は、寛政10年(1798年)発行の絵図、享和元年(1801年)の箱館全図という地図にも大町が登場するくらい古い町。大町の海岸通りは万延元年の箱館地図では現在の海上自衛隊あたりから、臨海研究所(旧西警察署)方向に大町は4丁目まであった。
 
 



民宿室屋のならびには、明治42年頃の建築とされる木造の洋風建築、現在はカフェ「モストゥリー」として営業している建物があり、

そのとなりには、明治18年に遠藤吉平商店としてれんが造白漆喰塗りの白亜の美しい建物がある。現在はcafe dining JOEといて営業している。




そこで残念な景観に遭遇していまう。
室屋とモストゥリーの間に平成22年に出来た民間の5階建て賃貸マンションとその駐車場。

左右の景観に配慮した建て方ができなかったのか、地元資本の企業が開発した工法による集合住宅と思うが、この場所以外であれば問題がないが、なぜここにこのデザインの建物なのか、非常に残念である。
 
 
 景観の連続性を損なわない配慮が地元企業だからこそ求められている。
 いまだ撤去されない二十間坂の「自由の女神像」など函館市内には、函館、西部地区の歴史性などを全く理解していない、地元企業家たちによる醜悪な建物がいくつかある。自己に利益だけではなく、地域全体の利益のことを考える企業家になってほしい。