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集魚灯をつけたイカ釣り漁船が並ぶ |
たくさんのイカ釣り漁船が並ぶ
函館漁港の光景
五稜郭を設計したことで有名な武田斐三郎は
弁天岬台場も設計している
新撰組の最後の戦いの場となった台場は、その後取り壊されるが、明治29年に建設された函館漁港の船入間防波堤の石積み護岸としていまに遺る
近代土木の父、廣井勇博士が設計した石積み護岸は、土木遺産となっている
現在の入舟町15番~22番までは、昭和40年まで山背泊町と呼ばれていた。山背(やませ)とは東風のこと、泊(とまり)は船を停泊させるところの意味で、函館山がやませをさえぎり波がなく安全に船を停泊させることが出来ることから名づけられた地名
江戸時代からつづく地名だったが、昭和40年の西部地区住居表示実施で他の歴史的地名とともに失われ、新町名「入舟町」が誕生した
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御影石で出来た旧町名の石碑 |
細く狭い道は奥へ奥へと続く
小学低学年の頃、家族そろってこの道を海水浴場へ向かって歩いた。ジリジリ照り付ける陽射しとミンミンゼミの蝉時雨の中を父と母と弟と
映画トップ・ガンが上映されていた頃、この道の最奥部のペンギンズ・バレーという店に初めて寄った、夕陽が美しいと評判の店で食べた、シーフードカレーの味がいまでも忘れられない
山背泊には新潟県出身者が多いという、佐渡で生まれたイカ漁が佐渡衆を中心にこの函館へ伝わったのだろうか
海水温が上昇し日本列島に猛暑をもたらした。地球温暖化
の影響は、この地域の漁業にも大きな影を落としている
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山背泊の町並み |
高温に弱いイカは、海水温が低い函館だから生け簀イカとして生きたまま市場に出荷出来ていたが、昨年の海水温は異常に高く不漁に加え、海水温が高く水揚げ時にイカが死んでしまい、活イカとして提供できない事態となった
いま、前浜での水産資源の減少と燃油の高騰から出漁を見合わせる漁業者たちもいる、TPPの問題、水産資源の管理と持続可能な漁業経営を地元漁業者たちと一緒に考えていきたい
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