明治の初め、いち早く明治新政府側に立った西本願寺(浄土真宗本願寺派)と違い、徳川幕府側についた東本願寺(真宗大谷派)は明治維新以後、積極的に明治新政府に協力し北海道開拓を行いました。
函館近郊では、大野新道や本願寺道路の建設に従事しましたが、このとき桔梗地区では本願寺用水と呼ばれる農業用水路をつくり、現在でも旧国道沿いに見られます。
本願寺用水が溢れたのか?
①で紹介した、車庫の方向に水が流れた 被害にあったお宅に向かうと、近くに川の姿は見えない。
一体この水はどこから来たのか?と疑問に感じました。
溢れた場所を案内させると、
土嚢に囲まれた、蓋がある。暗渠の中を水が流れていて、
その水が増水して溢れ出したものと理解できた。
しかし、この水はどこから?と再び疑問が沸いてくる
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