2015/03/29

戦争だけはしてはダメ 散歩みち2015.3.29号




 91歳で一人暮らしをする女性にお会いした。政治情勢から安倍政権の進める戦争国家への道について話が及んだ。
 
 この女性、道南出身だが満州からの引き揚げ者だという。彼女が戦時中暮らしていたまちは「新京」。現在の中国・吉林省長春。大日本帝国は中国侵略によって「満州国」をつくり、その首都に相応しい名称にと長春を新京に改称した。
 
 彼女は満鉄(南満州鉄道会社)に勤め、70年前の敗戦時は21歳。彼女はソ連軍の侵攻に備え、髪を散切りに男のような格好をし時には貯炭庫へ身を隠すなどして身を守り命がけで帰国したそうだ。
 
 私の祖母は1915年(大正4年)生まれ、生きていれば今年100歳。敗戦時30歳だった祖母は満州の奉天(現在の黒竜江省瀋陽市)で飛行機工場に勤務する夫と子どもとともに坊主頭で男装し命からがら逃げてきた、「ソ連軍が怖かった」と生前話している。祖母がどのルートを通り日本のどの港にたどり付いたのかは残念ながら聴くことは出来なかった。
 
 91歳の彼女は佐世保港に着いたという。「戦争だけはもうしてはダメ、頼みます」。と目が潤んでいた。
 
 
函館空襲戦災跡地「戦災者慰霊碑」~称名寺境内



 
 

 
 
 

被災者名とともに憲法9条の条文が刻まれる

 
 
 
 320万の日本国民、そしてアジア、太平洋の2000万に及ぶ諸国民の尊いいのちの犠牲の上に、二度と戦争をしないと誓った日本国憲法と憲法第9条があります。
 
 戦争国家へと突き進む自民党、公明党連立の安倍政権へ痛打をいっせい地方選挙では、戦前、戦中、唯一”反戦平和”を掲げ命がけで闘い、戦後も一貫してこの旗を掲げる日本共産党が躍進することが日本の未来にとって重要です。
 
 
           2015.3.29本間勝美記
 

2015/03/25

政策をお届けに、函館市内を遊説

 
 
 
3月25日水曜日
 
明日、知事選挙が告示されますので音の出る宣伝活動は今日まで、今日は午前は本通、午後は中道の後援会のみなさんと10ヶ所の街頭で政策をお伝えしました。
 
鍛治2丁目団地では小学生の元気な男の子2人から
 ”かつみさん”がんばって下さいの声援があり
とても嬉しいです。
 
 
若い女性2人が大きく手を振ってくれ、
またタクシードライバーも大きく手を振り、
たまたま通りかかった2年前に東京から函館に越してきたという男性から、共産党を応援していると演説を聴いてくれました。
 
選挙本番までしばらく音出しは出来ませんが、
もっとわかりやすく短く、函館市内の隅々まで政策を訴えることが出来ないだろうか。道議選告示までの9日間頭をひねって考えたいと思います。
 
 
 
 
 
 
①大谷高校バス停付近(本通1丁目40)松見通
②カーハウス池田向かい(本通2丁目30)本通中央通
③本通3丁目西緑地(本通3丁目21)南本通り
④ラルズマート本通店向かい(本通4丁目17)放射4号線
⑤スーパー魚長本通店向かい(本通1丁目5)本通富岡通
⑥中道児童公園前(中道2丁目41)
⑦市営中道2丁目団地(中道2丁目22)
⑧鍛治第2号児童公園前(鍛治2丁目38)
⑨市営鍛治2丁目団地(鍛治2丁目4)
⑩不京米穀店向かい(鍛治1丁目46)松見通
 
 
 


2015/03/24

私の好きな場所 ”志苔館”  散歩みち2015.3.22号



 目の前に津軽海峡、そして下北、津軽の山並み。函館山を起点にカーブを描く美しい海岸美。

 耳を澄ませば波の音、心地よい潮の香りとともに
肌を伝わるふるさとの側から寄せる海風
そして本州を思わせる瓦屋根の町並み。



 背中の側から突然、大きな音。振り向けばエンジン音を轟かせながら離陸して行く飛行機の姿。

 その日が西風なら、離陸した飛行機は機首を上げ湯の川温泉街上空でパイロットは操縦桿を引き、なおかつハンドルを左に回し津軽海峡上に達する。

 私の体もパイロットに操縦されたかのように左へ移動に元の位置に戻っている。そしてたったいま離陸したばかりの飛行機を小さな点になるまで目で追いかけている。



 空港には飛行機の姿は無くなったはずだが、ジェット音が届いてくる。上を見上げると遙か頭上に2つのエンジンから
もくもくと蒸気が氷結して出来る飛行機雲が数十キロメートルの帯をつくっている。

 この空は新千歳を離陸し日本海側を通り関西や九州方面を目指す飛行機のルートになっている。


 長い飛行機雲が長い時間消えないのは、天気は下り坂の証。下北の山々がはっきりと見えるときもまた天気は下り坂と昔から漁師や船舶関係者には有名な話だ。

 左は汐首岬、目の前に大間崎、右奥には竜飛崎と津軽海峡に迫り出す矢越岬が見える。
この海峡には実に多くの貨物船やコンテナ船が航行している。毎日、海峡を眺める住民はまるで海上で山が動くようだと言う。西へ向かうものは釜山などへ、東に向かうものは北アメリカに向かう、韓国や中国などの船。
 まさに国際海峡だ。



 
 
 はるか縄文の人々はこの海岸沿いに集落を築き何千年も世代を繋いできた。いまこの集落の上に函館空港の滑走路が台地の東西に延びる。
 
 時代は下り、アイヌ文化が花開いたこの地に、東北の戦乱で敗北した将たちが海を渡り、津軽海峡沿岸に館と呼ばれる城を築く。函館の地名にある館もその一つだ。



 
 
 館の主は北方の産物、この豊かな海で捕れる産物を貿易することによって巨大な富を築き、何十万もの中国銭を入れた甕を土中に埋めた。いま、函館から台北や天津と空路で結ばれるのを見たら何を思うであろう。
 
夏草や兵者どもが夢の跡。


 
 
 
ここは国指定の史跡 志苔館(しのり・たて)
私はこの場所が好きである。
 
 
 
2015.3.22 本間勝美

2015/03/22

本町交差点で街頭演説


 今日はポスターに告知している街頭演説を午後2時より本町交差点・行啓通りにて開催しました。
最初になかしま美樹市議予定候補が演説し、紺谷よしたか市議、市戸ゆたか市議、最後に私が演説。

私は、函館の基幹産業である水産・漁業と観光を取り上げ、
福島第一原発の汚染水は海を汚し、地元の漁業を潰している。
大間原発が出来ると津軽海峡が汚染され、事故があれば函館の水産・漁業そして観光は成り立たない。それどころかまちそのものの存立ができない。


観光は平和であってこそ、北東アジアの平和と安定は軍事ではなく、外交によるものでなければならないこと。ASEANでは話し合いで問題を解決する仕組みがある。私たちは北東アジア平和協力構想を提唱している。安倍首相の歴史認識、安倍政権の進める戦争できる国づくりは北東アジアに不安定をもたらすもので
観光のまち「函館」にとって有害なもの。戦争立法はきっぱり中止するべき。

いっせい地方選挙は、大間原発の建設、原発再稼働、消費増税、社会保障解体、戦争立法と憲法9条改悪を目論む、国民の声に耳を塞ぎ、目を閉じる安倍暴走政治へ痛打を浴びせるためにも日本共産党を大躍進させなければならない。などと演説を行いました。


街頭には120名があつまり、
がんばれ、がんばれ共産党!
がんばれ、がんばれホンマ! の声が上がりました。





 
 
 
 
 
 


たんぽぽ開花 女性パワーも開花 女性後援会宣伝







今日は朝から春らしい陽気の函館
女性後援会のみなさんと美原のMEGAドンキホーテ函館店前にて総勢15名の宣伝行動を行いました。


MEGAドンキホーテ函館店の壁面は日光が反射してひときわ暖かいのでしょう、早くもタンポポが開花していました。


タンポポの花は黄色、私のポスターや名刺も黄色です。
なぜなのか春に花咲かせるものは黄色が多いように思います。
私も花咲かせるよう頑張り抜きます。


                   2015.3.22 本間勝美記





2015/03/18

白鳥の北帰行?





北に向かうハクチョウの群れか(湯倉神社)


ハクチョウの北帰行か?

北へ帰る人の群れは誰も無口で♪~

 これは石川さゆりの津軽海峡冬景色
 

ハクチョウたちは無口ではない

 北に帰る鳥の群れは誰も賑やか~

 
自然界のハクチョウ(白鳥)の北帰行は来年の3月もその次の3月も見られルカも知れないが、
鉄道界の白鳥は、来年3月の新幹線・新函館北斗開業と同時に
 新青森から函館へ北帰行する特急白鳥、特急スーパー白鳥は絶滅してしまうのか?


それとも新函館北斗~新青森間のシャトルタイプの新幹線として白鳥の名前は残るか?


今朝の宣伝帰り、湯倉神社にお礼のご挨拶をした際、
ハクチョウと思われる北帰行に遭遇しました。
 
 
                                      2015.3.18 本間勝美
 
 
 
 

2015/03/14

函館「珈琲と政党助成金」(散歩みち 2015年3月15日号) 

函館市電が走る函館駅前通り(大門通り)  2015.3.8本間撮影



 函館駅前のメインストリート、大門通りのアーケードの撤去がはじまる。アーケードは鉄製で函館ドックで製造されものらしい。このアーケード街の一角に昭和21年から店を構える珈琲店がある。創業は昭和7年と道内一歴史のある珈琲店だ。函館とコーヒーの歴史は古く、酷寒の蝦夷地の政治を担った箱館奉行は水腫病対策としてコーヒーを薬として使用している。初めてコーヒーを口にした箱館奉行配下の侍たちにとってさぞ苦かったであろうと推察できる。まさに良薬口に苦しだ。

 
 
 ところで、国民ひとり毎年250円を政党に助成する政党助成金。コーヒー一杯分の負担を国民に求めるかわりに企業団体献金は禁止する約束だったはずだが。政党助成金が誕生して以来20年間、日本共産党以外の政党に配られた額はなんと約6311億円にも達する。
 
 この政党助成金、20年間、函館市民は一体いくら負担してきたのだろうか?。私の計算では約15億円。平均毎年約75百万円負担してきたことになる。このお金、市民のくらし、福祉に活用できたなら、国保料引き下げや、交通料金助成、人工内耳の助成などに活用できたなら。 軍隊のない国、コスタリカ産のコーヒーの香り味を楽しみながら考えた。
 
                           2015.3 本間勝美

2015/03/07

函館・弥生町誕生50年「弥生物語」(散歩みち2015年3月8日号)

函館港から見る弥生町。帆船箱館丸の背後に弥生小学校と弥生坂が見える(2014.5月本間撮影)


陰暦で3月を弥生と言います。
弥は「いや」と読み、いよいよ。ますますという意味があり、
生は「おい」と読み、生い茂るの意味があるそうです。
弥生は草木が芽吹く頃を意味します。

明治12年に起きた大火により江戸時代から続いた「箱館」の町並みは近代的な町並みへと変貌していきます。

港から函館山に向けて直線の道路(坂道)がつくられました。
地域の繁栄の願いを込めて弥生坂と名付けられます。
坂に面した家では、家を改築した際に「天保通宝」が出てきたよ。
3つの寺が並ぶ寺町跡だったところから道路を掘り起こした際に人骨が出てきたとか話題に事欠きません。

石川啄木が代用教員を務めた弥生尋常小学校(現在の市立弥生小学校)は、弥生坂に面して明治15年に開校しました。

実は弥生町という町名は新しい。

バス通りの基坂から弥生坂までを富岡町(とみおかちょう)、弥生坂から魚見坂までを鍛冶町(かじまち)、ペリー公園から西中学校、魚見坂までを天神町(てんじんまち)。その中間の通り、弥生坂から魚見坂を周辺地域までを旅籠町(はたごちょう)と呼んでいました。


函館市は西部地区を皮切りに住居表示を実施。町を再編成していきます。江戸時代から続く、通りの両側を「町」とする方式をあらため、道路に囲まれた地域(ブロック)を「町」にし、
富岡町、鍛冶町、旅籠町のそれぞれの大部分を統合して新しく「弥生町」が誕生したのは、
1965年(昭和40年)7月1日です。ことしは弥生町誕生50年です。


弥生という言葉は時代区分・弥生時代という名前にも登場します。土器が出土した東京大学の構内の地名、東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現在は文京区弥生)から名付けられたものです。

この東京大学には原子力研究総合センターがあり茨城県東海村にある東京大学の研究用高速炉も東大敷地の地名弥生から「弥生」と名付けられています。
この「弥生」は、東日本大震災で被災、計画外自動停止し永久停止中で、いま廃止に向かっています。

11日で福島原発事故から4年。
外洋に汚染水を排出し続け事故の収束の見通しが立たない中、
安倍政権は原発再稼働を推し進めています。
しかし民意は原発再稼働に反対です。

再稼働を認めず、
2年連続の原発稼働ゼロの夏実現のためにはいっせい地方選挙での日本共産党の大躍進が必要です。


2015.3 本間勝美








2015/03/05

函館市電719号がイメチェン



 函館市電700形の719号は、これまで函館市市民部市民課がスポンサーとなり「人権号」として運行してきましたが、このほどスポンサーが大和ハウス工業(株)に変わり、イメージ一新!

本町、旧グルメシティ五稜郭店跡地に建設中の再開発ビルに入る大和ハウス工業(株)による分譲マンション「プレミストタワー函館五稜郭」の広告を載せた電車となりました。


写真は本日夕、千代台~中央病院前間を走る市電719号です。


                           2015.3.5