2012/08/31

千歳町電停前の老舗そば店が閉店



 大正8年8月8日、8づくめ末広がりの八の日に開店した、函館の老舗そば店「まる吉」が本日閉店した。


 
閉店を前に昨日の昼、暖簾をくぐった
 

 「まる吉」は、千歳町電停前、電停の行灯には企業広告のスペースがある。以前あった「まる吉」の広告が無くなったのはいつからか。
今日の閉店は、電停の広告がなくなった時から決まっていたのかはわからない。





 そば処まる吉の電車道路を挟み、向いには昭和通りがある。
 以前宝屋というデパートもあった。のちコープさっぽろ新川店となり、閉店後建物は解体され現在は駐車場となっている。

 昭和通りと言えば、私の年代の男性では多くの方がお世話になった、トップカルダン(後のマックスラガー)という学生服専門
店があった。
 私が中学2年、3年頃に男子中学生に人気だったのは短ランという丈の短い学生服、そして「愛羅武勇」などの裏ボタン

 懐かしい思い出がある店が無くなるのは大変寂しいことだと思う。こと「まる吉」は大正8年というから創業93年間、いったいどれだけの市民の胃袋を満たしてきたのか。

 電車通りの活性化には、魅力ある店が必要、その一つが無くなったのは残念だが、新たな店舗として生まれ変わることを願う。

 

2012/08/24

生活保護問題議員研修に参加しています


 第4回生活保護問題議員研修に参加するため、さいたま市浦和区に来ています。
1日目はさいたま市民会館うらわが会場です。



 
 野宿者問題を当事者の視点から描く映画「渋谷ブランニューデイズ」の映画上映から参加しました。渋谷区は、行政として都市再開発、公園美化との名目で、野宿者の生活の実態を理解することなく野宿者たちの排除を進めて来ました。路上生活の実情と行政の姿勢を問う内容となっています。
 
 
 
 私も函館で路上生活者支援に取り組んで来ましたが、家を探し、生活保護受給につなげるまでで終わっています。映画に登場する野宿者は、渋谷区の行政と闘う中で団結していき、友情が生まれ、人間回復につながっていきます。
私が函館の活動を通して思うのは、多くの路上生活者たちは話しが上手ではなく、人とのかかわりも不得手な人が多く、たとえ家で生活が出来ても孤独感、孤立という状況は変わらない。
 
 
 さいたま市浦和区で活動する、埼玉・生活保護当事者の会「つながる会」の活動報告と当事者自身が大ホールのステージから参加した議員に思いを語る場面もありました。
 
 
 
多くが元路上生活者です。孤独と孤立の中で月1度の「つながる会」に集ることで生きる希望や力になっていることが語られました。
 

 

 基調対談では、朝日新聞記者の清川卓史氏、花園大学教授の吉永純氏、弁護士の小久保哲郎氏の進行で行われ、

子どもの貧困連鎖を断ち切るために、埼玉県で取り組まれている生活保護の中学生に対する教育支援「アスポート教育支援員事業」について白鳥勲氏が報告しました。


2日目は会場をさいたま共済会館に移し分科会、特別講座、まとめ講演が行なわれます。

2012/08/23

愛犬モモの死

 今夜9時すぎ、愛犬モモが亡くなりました。
新聞に載った「子犬差し上げます」の記事を見て、父と弟がもらってきたのがモモです。
地域でも人気ものだったモモ、名前はミヒャエル・エンデのモモと時間泥棒のモモから名づけましました。

 1995年4月8日に生まれたモモ、17年4ヶ月と15日、今夜、苦しまずに天国に旅立ちました。
この間、多くの地域の方がモモに声をかけてくれました。
モモに代わり、感謝申し上げます。

                    2012.8.23
                         本間 勝美



雷雨一転青空の下、69回目のひとり街頭宣伝


 今朝は7時頃から雷雨が激しくなったため、定例の深堀町電停前宣伝は中止にしました。
最近、落雷による死亡事故も頻発しているので、多少の雨なら決行するのですが、今朝は頭上で雷鳴がとどろき、いつ落ちるかもしれません。中止しますという電話連絡を入れました。

ところが、8時頃からは青空が広がる良い天気に。

明日、明後日はさいたま出張ですので週1回継続してきたこの宣伝が中断してしまうと考え、今日は私ひとりで街頭に立ち、尖閣や竹島などの領土問題を中心に話しました。(今日の宣伝は69回目となります)




 今日は処暑、暑さも収まってくるころと言われます。8月後半としては、観測史上はじめてとなる4日連続の真夏日を記録した函館。今日の最高気温は29度、5日ぶりに真夏日から抜け出すことができるか?この青空を見ると、もしかして今日も30度を越える?

雨に濡れた、アジサイは陽射しを受けてひと際鮮やかに見えました。

アジサイは漢字で書くと紫陽花
いまこの国では、原発稼動反対、消費税増税、TPP反対、オスプレイ配備反対の声が高まり、首相官邸前をはじめ全国各地で市民が声を上げ始めています。
アジサイの花にちなみ、日本の市民革命をアジサイ革命とも呼びます。次の総選挙では日本で唯一の革命政党、日本共産党を大きく躍進させることが、これらの課題を解決する一番の近道だと考え訴え続けます。



2012/08/22

中心市街地への人口増に期待ふくらむ「温泉と家」




 大森町にある「函館温泉ホテル」と「花ホテル」が函館に本社を置く同じグループによって、高齢者賃貸住宅に姿を変えていますが、その大森町では高層マンションの建設が進んでいます。

 いま、足場が取り払われ、建物の全容が現れてきました。
もとはホテルパコ函館の新館として建設されるはずが、リーマンショックによる世界的な景気低迷と函館への観光需要の低迷により、ホテル計画を白紙にし、高齢者などをターゲットにしたマンション計画に転換していました。

屋上につけられた看板を見ると「スパ&カーサ パコ」という名称のようです。
スパは温泉、カーサはスペイン語で家を意味します。温泉は1階に大浴場が設けられるのでしょうか?


 元気な高齢者がこの地域で増えると、この層をターゲットにしたビジネスも展開されるのではないでしょうか。
 
 中心市街地である、函館駅前・大門地区の人口増につながることから期待が膨らみます。


交通機関乗車料金制度のアンケート調査


 あなたの声をお聞かせください。新しい交通機関助成制度がスタートして5か月。
 本日13時、丸井デパート前と旧ダイエー前の二手に分かれて市民の声を広く聞こうと考える会員などが信号待ちの市民にアンケート調査を行いました。
 




 連日の真夏日で残暑が厳しく、いつもにくらべ通行する市民の数が少ない中、30分の行動の中で、30人の市民がアンケートに応えてくれました。

 私も3人の市民と直接対話をし、「以前の半額に戻してほしい」という切実な声がありました。

アンケート行動には私のほか、市戸ゆたか、紺谷克孝の日本共産党市議会議員も参加しました。







2012/08/21

千代台公園のあり方




  函館市の中心部にある都市公園千代台(ちよがだい)公園。古くは江戸時代後期、相次ぐ外国船の出没とロシアの南下政策によりもはや小藩である松前藩に北海道(蝦夷地)は任せられないと松前藩を現在の福島県伊達市(旧梁川町)に追いやりました。

 幕府は現在の千代台公園の一角に北海道の警護のための陣屋を仙台藩に設けらせ、箱館開港後、再び箱館を直轄地にした幕府は今度は弘前藩(津軽藩)の陣屋として警護にあたらせた。 
 

 大政奉還以後、徳川幕府(箱館奉行)から明治新政府の箱館府に統治者がかわり、そこに榎本武揚ら率いる旧幕府脱走軍3000人が箱館に進軍、占領。脱走軍の本拠五稜郭を守備するため、陣屋は地名をとり千代が岡陣屋となり、元浦賀奉行与力、中島三郎助父子が壮絶な最期を遂げた場所でもある。

 その後、五稜郭とともに旧陣屋跡には大日本帝国陸軍が拠点を構えた。




 戦後、平和憲法が出来、軍隊はなくなり、陸軍病院は国立函館病院となり、川原町の国立療養所と統合されるまで存在した。広い敷地には、失業対策事業により、市営野球場と陸上競技場が完成。市民プール、弓道場、テニスコート、青年センターなどが出来、函館市の運動公園になっています。


 8月18日、19日の二日間、陸上の第67回国体道選手選考会が千代台公園陸上競技場で行われ全道から約1000人が参加。 
早朝から練習するアスリートの姿が函館市内で見られました。

 1000人の出場する選手の晴れ姿を見ようと全道から選手の家族も多数来函し、千代台公園の駐車場(有料)はすぐに満車。
駐車場を探し右往左往する姿も見られた。

選手はバス、家族は自家用車だと思う。やはり運動公園にはそれ相応の駐車場の確保が必要ではないのかと考える。

 そこで、函館市の運動公園は千代台でよかったのかとちょっと疑問に思えて来た。野球場(オーシャンスタジアム)は、平日にはほとんど利用されていないのでは?。陸上競技場はどうなんだろう?

 いま、中心市街地の活性化をすすめる函館市だが商店街の活性化といってもそう簡単ではない。中心市街地を活性化するためには、やはり中心市街地の人口増、定住人口増と交流人口増を図らなければならない。

郊外から中心市街地への交流人口をどう増やすのか、
集客施設をつくることで交流人口を増やすことは可能だと思う。
市立函館病院の港町への移転が駅前大門から西の地域の著しい地盤沈下を招いたと私は見ています。

昨年訪れた長崎市でも、先日訪れた広島市でも市立病院は中心市街地に新築されている。

 函館市の場合、野球場や陸上競技場も千代台ではなく、昭和公園のところに運動公園をつくり、隣接するJR函館本線の五稜郭~桔梗間に新駅「運動公園駅」をつくることでJRの乗客増が図られ(北斗市や七飯町のJR沿線でも良いと思う)るのと同時に、大規模な駐車場も確保できる。

 病院は、野球場と陸上競技場の移転した跡地のどちらかに建設していれば、野球場などと違って、病院に勤務する職員、患者、見舞い客など膨大な数の来訪者で賑わっていただろうと思う。その波及効果は近接する本町五稜郭地区や中島廉売などに及んでいたのではないかと考える。市電の電停も「千代台」から「市立函館病院前」になっていたかもしれない。そして、市電の乗客も大きく増えていたかも知れない。また、医療機関が函館市の中心に集積することによって、通院への便利さを売り物にするマンションが建設され、中心市街地の人口増をもたらしていた可能性があるのではないだろうか。

いまから何を言っても遅いが、私は50年、100年先の函館を見据え、このようなことが繰り返されることのないよう議会内外で積極的提言していきたいと考えている。

2012/08/18

湯の川温泉花火大会


 3000発の花火が打ち上げられた湯の川温泉の花火大会に出かけました。市電湯の川電停から先はたくさんの人で大賑わい。

 私は午後7時40分の花火大会開始時点には湯の川観光ホテル前。その後、移動して最終的にはイマジンホテル&リゾート湯の川(旧湯の川グランドホテル)前浜の護岸から花火見物をしました。





 花火の後ろにはまさに宝石箱をひっくり返したような函館のまちの輝きが大森浜の曲線に沿って煌めいていました。
凪の津軽海峡の向いには大間崎灯台の点滅と、大間原発からの送電線の鉄塔の上に点滅する赤点滅が繋がるのが望めました。




 花火大会に来る客を捕まえようと湯の川地区のあちらこちらで焼き鳥、おでん、焼きそばなどなどの露天が出店し賑わっていました。



 市電の走る温泉橋たもとの普段はパチンコ店の駐車場にも、
たくさんの露天が出店、生ビールに焼き鳥を楽しんでいると、18時50分、ライトアップされた垂直尾翼の鶴丸が光る、羽田からのJAL1167便、ボーイング777が一気に頭上を過ぎ函館空港に着陸していきました。

湯の川温泉のほかに、ホテルや旅館の真上を大型旅客機が往く温泉地はないのではないだろうか。


2012/08/17

今日の函館 2012.8.17



 函館市内で進む建設工事の写真を2枚紹介します。

私は週2回のしんぶん赤旗の配達のおり、中道2丁目の産業道路、イトーヨーカドーの並びにあるホンダカーズ函館中央の社屋に注目しています。亀田川沿いに出来る中道四稜郭通の道路建
設に伴う社屋の大規模な改修工事です。

先週までに、白い鉄骨が組み立てられましたが、今朝見るとその白い鉄骨を囲むように円形の鉄骨が組み立てられています。
最終的にどのような意匠の建物になるのか楽しみです。


 都市計画道路中道四稜郭通の工事は産業道路の渋滞緩和を目的に函館市が進めています、今年度内に中道橋から産業道路を超え神山橋まで通行ができるようになります。
 しかし、イトーヨーカドー函館店裏の日の出橋のところに出来る
十字路の交差点には道路共用時には、信号も横断歩道も設けない(道の予算がないのが理由)ことがわかり6月議会で、交通安全上大きな問題であり、信号機が設置されるまで道路共用は待つべきだと質問しました。







 もう1枚は、市電松風町電停近くにある、10階建てのホテルの改修工事の写真です。

 このホテルは大手ミシンメーカーだった、リッカーミシンが「ホテル函館リッチ」として建て、のちに1000億円の負債を抱え倒産、ダイエーが支援しホテの営業も継続されました。そのダイエーも経営不振に陥りホテルを売却、一時は地元資本により「ホテルリッチ函館」として運営されていましたが、休業。

(類似名の函館リッチホテル五稜郭(本社・福島市)とは関係がない)


 その後、転売された建物は、老朽化した配管、室内を大幅にリニューアルする工事が行われホテル事業者に売却されるまでになっていたところで、リーマンショックによる世界的な景気後退と観光需要の減退によって、ホテルとしての再生がかなわず、数年が経過していました。

 ここにきてホテルとして再オープンするとの新聞報道もあり、空地の増大による商店街としての地盤沈下が著しい松風町電停界隈にとって久方ぶりの明るいニュースとなっています。

 ホテルができることにより宿泊客の流れができることから函館駅前から松風町間の歩行者数の増大、市電松風町電停の利用客の増加が見込まれます。

 しかし、観光客が減少している中での新たなホテル開業は、さらなる価格競争が激化する展開になり中小ホテルの業界にあったてはさらに厳しい環境になるのかもしれません。





2012/08/16

今日の函館 2012.8.16


 今朝の深堀町電停前の街頭宣伝が終わり帰宅途中、電車通りに植栽されている街路樹のナナカマドの樹にたくさんの実が着いているのを見て、季節は着実に秋に向かっているな感じました。
まだ緑色の実が真っ赤に染まる頃、函館は本格的な秋から冬に向かっていきます。



 日本共産党函館地区委員会が行う街頭宣伝に久しぶりに参加しようと正午に本町の旧ダイエー前へ。しかし、時間を1時間間違えたため行啓通りのそば店で昼食をとり、時間に余裕があったため本町界隈の観察をしました。

 (写真)店のシャッターには「Horita」とHをあしらったオレンジ色のマークが見えます。

 地場スーパーチェーン、ホリタの基幹店舗「ハイショップホリタ」として本町交差点角にオープン、丸井今井とともに本町五稜郭商店街の顔でした。
 
 

 ホリタはその後ダイエーグループへ、以降同じダイエーグループ、ボーニストアと合併、函館ダイエーとなり、その後道央圏に店舗展開するダイエーグループのニシムラと合併し、北海道スーパーマーケットダイエーに、店名は長らくダイエー五稜郭店でしたが、その後の再編でグルメシティ北海道の基幹店舗として店名もグルメシティ五稜郭店になりました。

会社としてのグルメシティも再再編で、ダイエーにまた吸収されグルメシティーという店名だけが残されました。


残念ながら五稜郭店は閉店。
函館の副都心といわれた本町五稜郭は急速に商店街としての機能低下が進みました。


本町五稜郭地区最大の商業テナントビル、五稜郭ビルはテナントが埋まってません。バブル時代に札幌で多くの商業テナントビルを設けた、建設会社の兜建設(後のカブトデコム)。函館で初めて手がけたのがこの五稜郭ビルで、バブル期にはこのビルにディスコ「マハラジャ」、オールディーズがメインの「ケントス」などが入り
毎夜、若者で溢れていました。


 北海道第1号のミスタードーナツ五稜郭ショップは24時間営業でした。モスバーガーに、ケンタッキー、ダンキンドーナツとファーストフード店もいろいろありました。

 電車道路を挟み向い側にあったビル(現在は野村證券が建つ)にもディスコ「カサブランカ(のちにゲニウスと改名)」があり、昼も夜も若者が溢れるヤングタウン五稜郭と呼ばれました。


 夏休みの観光シーズンとあって市電五稜郭公園前電停には五稜郭を目指す観光客が5分置きに走る電車から降りて来ます。


行啓通りは五稜郭へと往来する人で賑わいます。せっかくたくさんの観光客が往来しますので、五稜郭までの道のりを歴史を考えさせながら歩かせる仕掛けなど考えてみたいものです。


 行啓通りを歩くと古くから営業していた米店が閉店、薬局だった建物には、いつのまにかスイーツの店が、「ストロベリー パルフェ」というお店で、8月1日にオープンしたようです。


 行啓通りにと五稜郭柳町線の角にある太陽生命ビル、
 最近、社名のみだった屋上看板と袖看板が、太陽生命のロゴマーク入りのものに代わり、ビルの印象も変わりました。


 五稜郭公園前電停で降りた観光客はまず旧ダイエー前で五稜郭の方向がわからず右往左往する光景がよく見られます。
私も2組の観光客から道を聞かれました。

 
 行啓通りを下ったところにインフォメーション(写真)があります。
この場所に立つ歩行者の視線は正面に北海道新聞社が見えます。右斜めに入る道路を進めば五稜郭ですが、このインフォメーションの横の柱の部分に右斜めの矢印と五稜郭公園と書けば最高の道案内になるはずです。







 昭和40年代後半以降、十字街から函館駅前に集中していた。生命保険、損害保険会社は五稜郭地区に自社ビルを建て始めます。その魁が現在のAK函館ビルです。

 このビルは協栄生命ビルとして建てられ、ジブラルタ生命ビルを経て、現在のAKビルになったのですが、テナントは入居していず無人の建物です。平日の日中でもシャッターが下ろされています。




 AKビル(旧協栄生命ビル)の隣に長らく営業していた福留薬店は閉店したのちもしばらく建物があったのですが、今日前を通るといつの間にか建物が取り壊され更地になっていました。






 13時近くなったので、再び旧ダイエー五稜郭店前に戻りました。いまそこは駐輪禁止は何のその、たくさんの自転車が並びます。景観上は好ましくはないのですが、歩道が狭い本町五稜郭地区では駐輪スペースがありません。点字ブロックを塞ぐより、しばらくはこの駐輪に目をつぶるしか無いのかも知れません。
今後、旧ダイエー店舗の再生に向け、駐輪場をどうするのかしっかりと検討をしなければならないと考えます。

68回目の深堀町電停前の朝宣伝



低気圧が北海道を通過する影響で、今朝は雷雨も想像していましたが、時よりぱらつく程度の雨で
傘の必要もありませんでした。

 今朝も8時から30分、昨日は終戦記念日だったため、平和についてお話ししました。日本人300万人、アジア太平洋諸国2000万人の命を奪った、満州事変から太平洋戦争を経て8月15日の終戦にいたる15年戦争、その反省と日本の侵略によって犠牲となった国や人民たちに対して、網二度と戦争はしないと誓ったのが、日本国憲法であり、それを具体化するために戦力(軍隊)は持たないと明記した憲法第9条がありますが、いま自民党を中心に憲法を改正する、とりわけ9条第2項の「陸海空軍その他の戦力を保持しない」部分を削除して、自衛隊を防衛軍にする企てがすう封年来にわたり進められていますが、

 いま「決められない政治」から「決める政治」にという、メディアをつかっての一大キャンペーンは、
憲法を改正する側にとっては都合の良い状況で、大阪維新の会も憲法改正を言っていますので、
次の総選挙で憲法改正派が多数を占める状況がつくられると、憲法改正の動きが一気にすすむ状況が十分に考えられます。日米同盟を機軸として、自衛隊と米軍との一体化はさらに進み、米軍の補完部隊となった自衛隊(国防軍)は、米国が引き起こす侵略戦争に加担して、日本国民
の手によって他の民族を殺戮するような状況になったしまう。

 また、9条だけではなく、憲法第25条がしめす生存権規定を投げ捨て、自らの生命、健康は自らの責任で行うことが最優先され、それが出来なければ親族や地域での助け合い、それでも不可能な場合のみ国が援助というかお恵みするという内容に改悪してしまうことを、自民党だけでなく
大阪維新の会の橋本徹氏は考えていると、国民の期待が高い、大阪維新の会の右翼的な政治思想を話し、


 消費税大増税法案が国会で可決されたが、総選挙で消費税NOの声を上げること、そのためには消費税大増税を進めた民主。自民、公明に対して審判を下し、
大阪維新の会がどのような日本を目指しているのか注目しなければならないこと。

日本共産党は、唯一、消費税増税を行わなくとも、財政再建と社会保障の充実を行う道、展望をしめしていることうを話し、次の総選挙で日本共産党を大きくしていただきたいと訴えました。




2012/08/15

函館八幡宮例大祭①


 函館八幡宮例大祭の神輿行列に偶然遭遇して、シャッターを切りました。

函館駅前・大門通りです。

神馬に神官が乗り、その間に赤い装束に、天狗面を付けているのは猿田彦でしょうか。







古式ゆかしい白装束姿で重さ2トンの神輿を担ぎ、函館八幡宮をめざしているところです。


2012/08/13

本州最北端のまち 大間町をペダルを漕いで⑤


国道279号沿いにある、北通り総合文化センターウイング、北通りとは、大間町、風間浦村、佐井村の3町村の地域を指します。

この3町村の人々を対象に
「文化」「教育」「健康」および原子力に係る知識向上を目指す複合文化施設(施設紹介のパンフレットより)が北通り総合文化センターウイングです。平成10年3月27日に開館しています。

ウイングには、固定席287席、可動席466席の多目的ホール、冬期間でも土の上でスポーツが楽しめる屋内運動場、室温、水温とも30℃に保たれた室内温水プール、図書室などがあります。

このウイングには展望台もあり、晴れた日には、津軽海峡の対岸に広がる函館市街が一望できます。
この日は残念ながら海峡は濃霧に覆われ函館を一望することは叶いませんでした。

このウイングの白い建物は函館市内からも小さな白い点くらいですが見ることができます。


 展示コーナーには、原子力発電をPRするパネルなどが並び、2基ある魚が泳ぐ水槽も、原子力発電と海とのかかわりを紹介、原発から出る温度の高い温排水を利用して養殖が出来るとPRしています。






大きな敷地に、新しい立派な保育園が建っています。
保育園の玄関のガラス戸超しに中を覗くと、「平成18年度 電源立地地域対策交付金施設」というプレートが壁に貼られています。






大間中学校グランド改修も、電源立地地域対策交付金施設



そして大間幼稚園の倉庫の壁にもプレートが貼られています。




 こうして、補助金を頼りに新しい建物をたて、さらに原発が完成すると固定資産税なども入ってくることから、それを見越して借金をしてさらに公共建築物を建設していくことになります。

 大間町の場合、函館までのフェリー航路が通院、買物などなくてはならない生活航路になっています。津軽海峡フェリーがこの航路から撤退すると表明し、存続させるために大間町が負担していま新しいフェリーを建造中です。このフェリーの建造費も原発完成を見越しているのです。

私は、九州と本州との間(関門トンネル)、四国と本州の間(瀬戸大橋など)は自動車道路がつながっているが、北海道と本州は鉄道(青函トンネル)のみ、

大間・函館のフェリー航路は国道指定された、まさに海上国道、橋やトンネルで自動車通行が出来ない以上、フェリーの建造費は国が責任をもつべきと考えます。橋をつくり維持するよりか船の建造の方がはるかに費用がかからないのではないでしょうか。

 いま東京では1m1億円の道路建設が進められています。
下北にいま必要なのは、遅れたインフラの整備です。青森から大間までの道路整備と高齢者も安心して乗れるフェリーの建造です。

下北は隠れた観光資源の宝庫。函館、下北を結ぶ広域観光ルートをつくることによって、この地域の産業を活性化させ原発がなくても生きていける地域づくりを行っていく必要があると考えています。