海上自衛隊の護衛艦すずつき(第4護衛隊群第8護衛隊所属・母港は佐世保港)
3月12日に就役したばかりの最新鋭の艦船が函館港に入港し港町ふ頭に接岸。
(写真は4月4日撮影)
三菱=武器輸出=原子力輸出
積極的平和主義=憲法解釈変更=集団的自衛権行使
この先にあるのは海上自衛隊員の戦死、そして家族の悲しみか?
「すずつき」は三菱重工長崎造船所で建造。
旧日本海軍の「涼月(すずつき)も三菱重工長崎造船所で建造。
涼月は、昭和20年、戦艦大和の護衛任務に就く
すずつきは、イージス艦の護衛が任務
日本帝国海軍 → 日本海上自衛隊 と連綿、いや復活させられた歴史
3月12日、三菱から防衛省に引き渡された「すずつき」
見送りの横断幕は三菱重工社員手作りのもの。
そこには「武運長久」の文字があります。
武運長久とは、辞書を引くと「戦いにおける良い運が久しく続くこと」
木原稔防衛大臣政務官は、チャンネル桜のビデオレターの中で、「すずつき」の名前について、「旧海軍の艦艇にも付けられた非常に縁起の良い名前。最後まで残った船ということで縁起の良い船」と紹介しています。
しかし、数度の攻撃により多数の戦死者を出しています。
「武運長久」 この文字を見て、
すぐに連想したものは、日の丸の寄せ書き、そこには多く武運長久の文字が書かれています。市立函館博物館にも展示されています。
「函館西高100年の歴史(沿革史)」は学校日誌をもとに同窓会が作成したもの。昭和12年(1937年)7月24日午前7時30分公園広場集合、帝国軍人の武運長久のため八幡宮、招魂社に参拝とあります。そして、8月4日には、「日本軍北京入城」とあります。
集団的自衛権を行使できるようにすることは、自衛隊を完全にアメリカ軍の下請けにさせることです。市ヶ谷や永田町から愛国心を叫び、命令を出す者は命を落とすことはありません。命を落とすのは自衛隊員。
いま、ふたたび自衛隊員の家族が「御武運」をお祈りしますと言わなければならないような日本社会の到来に危機感を抱いています。
2014.4.6
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