2011/06/14

函館まちかど点描 ”啄木とハマナスの花”


対岸、大間原発の大型クレーンも見えた


潮かをる北の浜辺の

砂山のかの浜茄子よ

今年も咲けるや


朝7時 啄木小公園に立ち寄りました。
曇り空でしたが、雲は高く函館山や函館近郊の山並みもはっきりと見えました。

啄木坐像の向こうには下北の山並みが見渡せます。啄木の生地、岩手県は江戸時代、南部藩が治めていました。

南部藩領は現在、岩手県と青森県となっていますが、青森県の下北地方と三沢や八戸がある上北地方は南部藩領だったところです。

江戸時代に描かれた、箱館絵図をみると、津軽半島は津軽と書かれ、下北半島には南部と書かれています。



啄木小公園のハマナスは今年も咲いた

戊辰戦争の時に、いち早く官軍側に着いた津軽藩にくらべ、南部藩は旧幕府側に肩入れしたために、旧南部領地は青森県と岩手県に分断されてしまいました。

 そして維新政府にとって宿敵だった、会津藩(現在の福島県の一部を領有)は明治に入って、領地を奪われ下北半島に斗南藩と名称を改め強制的に移住させられました。農作業になれない武士たちが米も出来ない不毛の地で辛酸をなめ亡くなった人も多いと言いいます。道南から近い下北の地には国策で、原子力施設が集中的につくられ原子力半島の異名がつけられています。

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