2015/03/07

函館・弥生町誕生50年「弥生物語」(散歩みち2015年3月8日号)

函館港から見る弥生町。帆船箱館丸の背後に弥生小学校と弥生坂が見える(2014.5月本間撮影)


陰暦で3月を弥生と言います。
弥は「いや」と読み、いよいよ。ますますという意味があり、
生は「おい」と読み、生い茂るの意味があるそうです。
弥生は草木が芽吹く頃を意味します。

明治12年に起きた大火により江戸時代から続いた「箱館」の町並みは近代的な町並みへと変貌していきます。

港から函館山に向けて直線の道路(坂道)がつくられました。
地域の繁栄の願いを込めて弥生坂と名付けられます。
坂に面した家では、家を改築した際に「天保通宝」が出てきたよ。
3つの寺が並ぶ寺町跡だったところから道路を掘り起こした際に人骨が出てきたとか話題に事欠きません。

石川啄木が代用教員を務めた弥生尋常小学校(現在の市立弥生小学校)は、弥生坂に面して明治15年に開校しました。

実は弥生町という町名は新しい。

バス通りの基坂から弥生坂までを富岡町(とみおかちょう)、弥生坂から魚見坂までを鍛冶町(かじまち)、ペリー公園から西中学校、魚見坂までを天神町(てんじんまち)。その中間の通り、弥生坂から魚見坂を周辺地域までを旅籠町(はたごちょう)と呼んでいました。


函館市は西部地区を皮切りに住居表示を実施。町を再編成していきます。江戸時代から続く、通りの両側を「町」とする方式をあらため、道路に囲まれた地域(ブロック)を「町」にし、
富岡町、鍛冶町、旅籠町のそれぞれの大部分を統合して新しく「弥生町」が誕生したのは、
1965年(昭和40年)7月1日です。ことしは弥生町誕生50年です。


弥生という言葉は時代区分・弥生時代という名前にも登場します。土器が出土した東京大学の構内の地名、東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現在は文京区弥生)から名付けられたものです。

この東京大学には原子力研究総合センターがあり茨城県東海村にある東京大学の研究用高速炉も東大敷地の地名弥生から「弥生」と名付けられています。
この「弥生」は、東日本大震災で被災、計画外自動停止し永久停止中で、いま廃止に向かっています。

11日で福島原発事故から4年。
外洋に汚染水を排出し続け事故の収束の見通しが立たない中、
安倍政権は原発再稼働を推し進めています。
しかし民意は原発再稼働に反対です。

再稼働を認めず、
2年連続の原発稼働ゼロの夏実現のためにはいっせい地方選挙での日本共産党の大躍進が必要です。


2015.3 本間勝美








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