2011/02/12

松川町のみなさんに励まされ

 五稜郭や弁天台場の工事を指揮し、現在、新興住宅街となっている石川町の開墾を行なったのが越後出身の松川弁之助です。箱館の市街地から五稜郭までの道路を私費を投じてつくり、この道路は松川街道と呼ばれるようになりますが、現在では若松町から中の橋までを通称「大縄町通り」、中の橋から道新函館支社前までを「高砂通り」と呼んでいます。


彼の顕彰碑が五稜郭公園(芸術ホール向かい側)に建てられています。1931年(昭和6年)に彼の名前を後世に遺そうと松川町が誕生しました。

 その松川町の住宅街の街頭から、党中部支部の方と講演会のお誘い、日本共産党の訴えを行いました。たくさんの方に声をかけられ、励ましのお言葉をいただきました。のど飴の差し入れもあり本当に感謝の気持ちで一杯です。途中、お豆腐屋さんに立ち寄り、つるの子大豆でつくる豆腐の日のチェックも。豆腐もさることながら、この大豆から出来るおからがまた格別です。今日は、松川町の皆さんに励まされた1日でした。

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