ことしは石川啄木の100回忌、4月13日が100回目の命日でした。いま函館の立待岬で家族とともに眠る啄木
啄木が在函時にはあった砂山のあとには啄木坐像が建てられ啄木小公園と名づけられている。いまは砂山は跡形もなく、国道278号は空港と湯の川温泉街と函館駅、函館山をつなぐ主要幹線道路となっている。
啄木像の頭上には津軽海峡から大きく弧を描きながら進入してくる飛行機が通る
明治40年の大火で住処や職場を失い、函館は死んだと函館をあとに道内各地を転々とした啄木だが、 函館は明治40年の大火をはるかに上回る昭和9年の大火でも復興を成し遂げた。
啄木死後100年後の函館は、啄木も想像できないくらいに変貌し砂山の跡地、啄木坐像近くにはパチンコ店が夜にはまぶしいほどの光を放っている。この光は対岸の大間にも届き、大間町民がヨゴヤケ(横夜景)と呼ぶ函館夜景の一部になっているにちがいない。
自殺率、生活保護率、犯罪率、人口減少、所得の減少・・・
貧困と格差が進む現代函館を見て、啄木はどんな感想をいだき、どのような創作活動をするのだろうかとふと感じた。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」
いま啄木がこの場所を訪れたら、
きっと「東海の小島の磯の黒砂にわれ泣きぬれて玉とたわむる」
と詠むんじゃないかと、
いま昭和4丁目に一つ、来年には本通4丁目に6階建ての店舗がひとつ計画されている。パチンコ依存症というのはれっきとした病気。家族崩壊や経済崩壊をもたらすこの病気には他の病気同様に予防が大切、これ以上のパチンコ店進出は許されない、規制する条例が作れないものだろうか。
2012・4・30
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