2012/03/06

3.11と大間原発と大間航路・・・

今日、個人質問が終わりました。
終了後、東日本大震災に被害にあった方に対して函館市議会として哀悼の気持ちを示すため黙とうを行いました。テレビでも震災1年となる、11日に向けて特集番組も多く組まれています。

3月3日の毎日新聞の東日本大震災1年の特集記事に目が留まりました。地震学が専門の東北大学教授の松沢暢氏は、「これからの数十年は我々の知らない日本列島になる可能性がある」と指摘しています。

われわれの知らない日本列島って何でしょう?

氏はつづけて「大震災をもたらしたマグニチュード9・0の超巨大地震は、東日本の地下にかかる力に大きな変化を起こしたため、今後、どこで巨大地震が起きても不思議ではない」と話します。

最近も日本列島のあちらこちらで地震が起きています。
我が函館の地震対策、防災のまちづくりは待ったなしです。

そして、東京電力福島第一原発の事故。
私たち、日本人はフクシマで学んだのか? 多くの函館市民はフクシマを切っ掛けに、大間の危険性を知ったのではないでしょうか? 工藤寿樹市長は大間原発の無期限凍結を訴え当選し、当選後も積極的に行動しています。

そして、議会はどうでしょうか。日本共産党は旧戸井町で原田有康町議(当時)、太田正太郎町議(当時)が議会で大間原発の危険性をいち早く取り上げ質問してきました。合併後の函館市議会では太田正太郎市議(当時)が引き続き取り上げ、現在、紺谷克孝市議が毎回の議会で質問しています。

保守会派や公明党は、原発推進の立場でしたし、民主党も政権与党になってからは中央で原発推進のためトーンダウンしていました。そして昨年の3.11を迎え、いまの議会では、すべての会派が大間原発は建設するなと言っています。

議員控室の私の席からは、津軽海峡が見えます。晴れた日は、下北半島の山々が連なっています。おそらく大間町の西隣の佐井村だと思います。江戸時代、佐井は函館とを結ぶ重要な港でした。青森に自生するヒノキアスナロの木材を船で函館に運んでいました。

いまは大間港と函館港間を1500トンクラスのフェリーが行き来しています。
平成24年度予算にはこの大間航路に対して、函館市は上限2000万の補助を予定しています。

生活航路としてなくてはならない航路です。国道279号に指定されて海上国道となっています。
四国と本州の間に何本も橋が架かっています。津軽海峡大橋という話もありましたが現実的ではありません。私はせめて海上国道なのですから、国が責任を持って海上国道を維持していくのが筋ではないのかと思います。すなわちフェリー建造にかかる費用や、運航にかかる費用等もふくめて国設民営でできないのかと。

青森県ではどのような議論がされているのかはわかりませんが、私はこのような考えを持っています。
















 

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