2012/08/11

江差姥神大神宮渡御祭②

いにしえ街道を山車が曳かれて行く

江差町は2階建てのまち、2階部分は、檜山振興局や江差駅、飲食店街・新地町や橋本町の商店街のある上町と、1階部分が江差町役場など海岸に沿うように形成された町並みが広がる下町。

私は江差町市街地でもっとも大きな面積で、人口を擁する南が丘の地域は昭和40年代以降、住宅地として開発された地域、ここは3階部分に相当するので、江差は3階建てのまちではないかとかん考えています。



 江戸、明治期の建物、それに模した建物が並ぶ、いにしえ街道沿いの家々には、家紋の入った幕が張られ、提灯が並びます。

 私の勤めていた、江差診療所にももちろん、この上が白で下が青の幕(正式名称は何というのでしょうか?)暖簾?が玄関先に掛けられていました。
家紋の変わりに勤医協が加盟する全日本民医連のマークが入っています。
江差郵便局には、郵便マークの入った幕が掛けられていました。





 いにしえ通り沿いのある民家の前では、橋本町の山車、聖武山(しょうぶざん)の若衆が「切り声」を披露していました。



北海道指定文化財 横山家
 鰻の寝床とも呼ばれる、京都風の奥行きある建物が特徴の横山家、この横山家の裏は、いまは国道が走っていますが昭和30年代までは海岸線で、舟から直接商品である荷物を倉庫に出し入れできるように工夫された建築物のことを羽根出しといい、江差では中歌町から姥神町のいまのいにしえ街道沿いに立ち並んでいました。

 古写真を見ると海岸沿いに並んだ、羽根出し建築は壮観で、いま残っていれば世界文化遺産になっていても良いくらいだと思います。

 日本人は戦後の高度経済成長の時代を通じて、地域の歴史的景観を破壊し続けて来ました。
いま全国各地で歴史的景観の復元が行われていますが、映画の撮影セットのようになっているところも見受けられます。建物だけ似せるだけではダメで、はやり復元された町並みに、地域の文化、伝統を伝えるその土地に住む人々の息遣いが感じられなければならないと思いますが、

 江差は姥神大神宮渡御祭という370年つづき江差人の1年のサイクルの中心を成し、江戸の文化を体現する「まつり」があるからこそ、復元、再生された、いにしえ街道の歴史的景観が生かされると考えました。

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