2012/08/21

千代台公園のあり方




  函館市の中心部にある都市公園千代台(ちよがだい)公園。古くは江戸時代後期、相次ぐ外国船の出没とロシアの南下政策によりもはや小藩である松前藩に北海道(蝦夷地)は任せられないと松前藩を現在の福島県伊達市(旧梁川町)に追いやりました。

 幕府は現在の千代台公園の一角に北海道の警護のための陣屋を仙台藩に設けらせ、箱館開港後、再び箱館を直轄地にした幕府は今度は弘前藩(津軽藩)の陣屋として警護にあたらせた。 
 

 大政奉還以後、徳川幕府(箱館奉行)から明治新政府の箱館府に統治者がかわり、そこに榎本武揚ら率いる旧幕府脱走軍3000人が箱館に進軍、占領。脱走軍の本拠五稜郭を守備するため、陣屋は地名をとり千代が岡陣屋となり、元浦賀奉行与力、中島三郎助父子が壮絶な最期を遂げた場所でもある。

 その後、五稜郭とともに旧陣屋跡には大日本帝国陸軍が拠点を構えた。




 戦後、平和憲法が出来、軍隊はなくなり、陸軍病院は国立函館病院となり、川原町の国立療養所と統合されるまで存在した。広い敷地には、失業対策事業により、市営野球場と陸上競技場が完成。市民プール、弓道場、テニスコート、青年センターなどが出来、函館市の運動公園になっています。


 8月18日、19日の二日間、陸上の第67回国体道選手選考会が千代台公園陸上競技場で行われ全道から約1000人が参加。 
早朝から練習するアスリートの姿が函館市内で見られました。

 1000人の出場する選手の晴れ姿を見ようと全道から選手の家族も多数来函し、千代台公園の駐車場(有料)はすぐに満車。
駐車場を探し右往左往する姿も見られた。

選手はバス、家族は自家用車だと思う。やはり運動公園にはそれ相応の駐車場の確保が必要ではないのかと考える。

 そこで、函館市の運動公園は千代台でよかったのかとちょっと疑問に思えて来た。野球場(オーシャンスタジアム)は、平日にはほとんど利用されていないのでは?。陸上競技場はどうなんだろう?

 いま、中心市街地の活性化をすすめる函館市だが商店街の活性化といってもそう簡単ではない。中心市街地を活性化するためには、やはり中心市街地の人口増、定住人口増と交流人口増を図らなければならない。

郊外から中心市街地への交流人口をどう増やすのか、
集客施設をつくることで交流人口を増やすことは可能だと思う。
市立函館病院の港町への移転が駅前大門から西の地域の著しい地盤沈下を招いたと私は見ています。

昨年訪れた長崎市でも、先日訪れた広島市でも市立病院は中心市街地に新築されている。

 函館市の場合、野球場や陸上競技場も千代台ではなく、昭和公園のところに運動公園をつくり、隣接するJR函館本線の五稜郭~桔梗間に新駅「運動公園駅」をつくることでJRの乗客増が図られ(北斗市や七飯町のJR沿線でも良いと思う)るのと同時に、大規模な駐車場も確保できる。

 病院は、野球場と陸上競技場の移転した跡地のどちらかに建設していれば、野球場などと違って、病院に勤務する職員、患者、見舞い客など膨大な数の来訪者で賑わっていただろうと思う。その波及効果は近接する本町五稜郭地区や中島廉売などに及んでいたのではないかと考える。市電の電停も「千代台」から「市立函館病院前」になっていたかもしれない。そして、市電の乗客も大きく増えていたかも知れない。また、医療機関が函館市の中心に集積することによって、通院への便利さを売り物にするマンションが建設され、中心市街地の人口増をもたらしていた可能性があるのではないだろうか。

いまから何を言っても遅いが、私は50年、100年先の函館を見据え、このようなことが繰り返されることのないよう議会内外で積極的提言していきたいと考えている。

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